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エッセイ Y

essay
イラスト 鈴木英すけ
エッセイ 鈴木けいと
イラスト 鈴木英すけ

インナーチャイルド

年齢別になる
去年の8月から、諸鈍保育所の先生の
どちらか一人がお休みするとき、
代わりに保育所に行かせてもらっています。
諸鈍保育所は、1歳半から6歳児まで、今は15名くらい、
みんな一緒に公民館で過ごします。
それなのに、自然現象のように近い年齢同士くっつきます。

不思議なのは、2歳児同士は、まだ一緒に遊べず、
押しのけ合ったり、取り合ったり、
ちっとも楽しい思いをすることがないのに、
くっつき合っています。
それは、2歳児の意識が体験する世界と、3歳児が感じる世界は、
別の世界で、同じ世界に住んでいるもの同士
ひきつけあうかのようです。
お誕生日を向かえるたびに、新しい世界に移って、
その世界に住んでいたその子がいなくなってしまうような
寂しさを感じます。
イラスト 鈴木英すけ
こどもは、未熟だけれど、大事な動機を持っている
「こどもは、未熟で困ったことばかりする存在だけど、
こどもが密かに感じていることは全然未熟ではない。
その子がどう感じていたのかを失わずに、
その思いを一緒に連れて、大人になり、年を取れたらいいね。
こどもの頃、インナーチャイルドが求めた大人像は、
同時にハイヤーセルフでもあると思うんだ。」
と、夫が言いました。

特に、失ってはならないのは、
評価など関係なく生きていた子供のときに、
どんな人が苦手で、どんな大人になりたいと思ったのか、
その原点の願いです。
それは、言語化していないとしても、
どの人も記憶はしていると思います。
それを失ってしまうと、自分の願いではなく、
親や世間、時代に流されてしまいます。

わたしは、接触は少なかったけれど、母方の祖母が好きでした。
特に何かをしてくれた訳でもなく、
何かを言った訳でもありませんが、
黙って人の思いを感じていてくれる人だったからです。
子供の時にはその重要性を何より感じていたと思います。
感じることより、世間体や虚栄に生きている人は、
あまり好きではありませんでした。
 
 
自分の願いを取り戻す
それなのに、その自分の原点の思いを重要視しませんでした。
未熟で駄目な私が願ったことなんて、
大したことないと思ってしまったからです。
だから、人のことを感じることより自分のことしか考えず、
自分が好きな人、なりたい人ではなく、
世間体や虚栄に生きている人と同じく、
嫌いな人になっていました。
本当になりたい自分になろうとせずに、
生きてきてしまったことに気がついて、唖然としました。

今さら気がついて、人の気持ちを感じようとしても、
急にそのような人にはなれませんが、
せめて残された時間は、
本当になりたい自分はどういう人なのかを、
常に意識していたいと思います。
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地面に穴をほる蜂

蜂の地雷
庭が穴ぼこだらけになり、
その穴から手足の長い大きな蜂(3センチくらい)が、
ブンブンという羽音を響かせて出入りし、
庭中を飛び回っているのを見た時は、
「なんていうところなんだ!」と驚き、
恐ろしくて外に出られませんでした。
島の人にその蜂のことを聞くと、
「あの蜂は刺さないから」と、
気にする様子もなく言われました。
それから、少しずつブンブン飛び回る庭に出て、
威嚇はされますが、
確かに、この蜂は刺ないことを確かめました。


蜂の羽音
あるときに、外国の本だったと思いますが、
蜂の羽音は平和な暮らしの象徴だと書いてありました。
田舎では、早朝には、鳥の声で目を覚まし、
日が高くなると、忙しく飛び回る蜂の羽音が聞こえてきます。
蜂は
「さあ、新しい一日が始まったよ、いい天気!
今日もたくさん花の蜜を集めなくちゃ」
と言っているのです。
それ以来、蜂の羽音が聞こえると、
私はなんて豊かなところに住んでいるんだと思うようになりました。
庭の草取りで、穴の近くに来ると、
蜂は「こっちへ来るな!」と体をはって穴を守ろうとします。
「大丈夫、穴を壊したりしないから」と言いながら、草を取ると、
土で穴がふさがってしまったりします。
「あ、ごめん! もう穴の近くの草はとりません」と言い訳します。
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イメージが違う
調べて見ると、穴蜂で、花の蜜を取るというのではなく、
キリギリス類などを毒針で刺して麻痺させ、穴の中の巣に運び、
幼虫を育てているというのです。
そういえば、あちこちでキリギリスの死骸が落ちていたり、
自分より大きなキリギリスを穴に運んでいる光景を目にします。
花の蜜と蜂蜜という平和なイメージとは異なり、
毒針で麻痺させた昆虫を食べるという残虐なイメージですが、
キリギリスなどの昆虫がたくさんいる環境ということは、
やはり豊かな環境を意味しているのでしょう。


蜂の話題
集落作業で女性たちが草取りをしている時に、蜂の話題になり、
「私は、穴の中に石を入れて穴をふさいだ」とか、
「砂を入れて、ホースで水を入れてみた」
「でも、ちゃんと出てくるんだよね」
と話していました。
けっこう残酷なことをするんだなと思いながらも、
出てくることを確かめるほど、
よく観察していることにも驚きました。
夫が、喧嘩したり、戦った相手の方が、その手応えから、
相手を感じたり知ることができると言っていました。
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「優」という字

優秀の優
なのはな園のみんなで、大きな紙いっぱいに
「優」という字を描きました。
園の今年のテーマは、「優」(やさしい)に決まり、
夏祭りの舞台に飾るためです。
私は、「優」という字は、やさしいというより、
優秀の優、他のものより一段とまさっているというイメージがあり、あまり好きではありませんでした。
画数も多く、みんなで描くには難しい字を
なんで選んだのだろうと思いました。


人が憂うと書く
夫が、縦、横、1.5メートルくらいの大きな模造紙に
みんなで描くためのデザインを考えながら、
「優という字は、人が憂うと書くんだね、びっくり!」
と言いました。
「憂」の意味は、
思い悩む、心配する、心が晴れない
と書かれていました。
私が感じていた、才能があり、思いどうりに生きていて、
悩みとは無縁の状態とはむしろ反対に、
人が思い悩むことが、やさしさであり、
まさっていることだと表していたのです。
 
永遠回帰
ニーチェの『永遠回帰』という言葉も、
最近知って考えさせられました。
イラスト 鈴木英すけ
私は、悩みから解放されるために生きていて、
悩みが無い状態が幸せなのだと思っていました。
でもその考えが間違っているのかもしれないと、
「永遠回帰」の意味を調べて思うようになりました。

『ブリタニカ』によると、
「永遠回帰」とは、
生の各瞬間はもはや単に過ぎ行く現象ではなく、
無限回も生起し、回帰するがゆえに永遠の価値をもつ。
彼岸の生活などに希望を託さず、
その一切の喜びや苦悩とともに
現実の生を英雄的に肯定するという立場から説かれる。
と書いてありました。

悩みはどこまでいっても永久に無くならないけれど、
悩みとどう向かい合うのかを問われている。
というのです。

悩むことの重要性
『優』の字の意味と共通するように思いました。
どちらも、悩みがあり、それを受け入れ、
取り組むことの大切さを表した言葉だと思います。
解決するかどうかは関係ないのです。
例えば、人生としては悲劇で問題が解決されずに終わっても、
悩むことから逃げなかった人は魅力があります。

なのはな園の人が選んだ
『優』という字と『やさしい』という言葉は、
意味を改めて知って大好きな字になりました。
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冷房がない夏

暑さへの対策
夏がやってきました。
我が家には冷房がありません。
7・8・9月と少なくとも3ヶ月間は、
この暑さを、どう乗り切るのかということが課題になります。
扇風機は、島に引っ越す前に、中古品を4台買ってきました。
各部屋に一台づつありますが、
動くたびに風があたるように移動させたり、
向きを変えなくてはなりません。
34度を越えると、扇風機の風も熱風で、
ドライヤーを当てているようで耐えられなくなります。
暑さに耐えることに全エネルギーが使われ、
集中力も思考能力も無くなり、
何をするのもすごく大変になります。
そんな時の唯一の対処方は、お風呂場で水を浴びることです。
イラスト 鈴木英すけ
うちには、お湯が出るシャワーもないので、
夫が、水道の蛇口にホースをつけ、ホースの先に、
『鰻のたれ』が入っていた容器に、
キリで小さい穴をたくさん開けたものを取り付け、
シャワー状に出るようにしました。
一日に、何度もそのシャワーを浴びることで、しのぎます。
その水も温水になり、体を冷やせなくなります。
最後の手段として私は、お風呂の浴槽に水を入れ、
一晩おくと少し冷えるので、
その水にスイカのように浸かって体を冷やします。


苦難に対する万能薬
去年の夏は、その暑い中で、夫と、
布でアップリケの作品作りを、
熱に浮かされたようにしていました。
扇風機の風で布が飛んだり動いてしまうので、
布の作業は夏にはむいていません。
でも、何かに夢中になっているときだけ、
暑さを意識しないでいられます。
何かに夢中になることは、暑さだけでなく、
さまざまな苦難に対して万能薬になります。
寒さや、お腹が減っていることや、痛みや、
辛いことがあった時にも、何かに夢中になっていれば、
そのことを忘れていられるからです。

ファーブルは、貧乏で食べるものもありませんでしたが、
それより昆虫に夢中になっていたから、
普通だったら、とても耐えられない状態を
耐えることができたのだと思います。
死ぬことを考えていた人が、描きかけの絵が目入り、
筆をとって描き始めた途端に、さっきまで、
何に悩んでいたかさえ忘れてしまったと言います。
何かに夢中になることは、お金をかけずに、
苦難を乗り越える最大の方法だと思います。

草が枯れる
今年の夏は、梅雨明けからまったく雨が降らず、
まだ台風さえ来ません。
強い太陽の日ざしが照りつける日だけが続き、
地面はすっかり乾燥し、草も枯れています。
夢中になろうとしても、集中することが難しく、
なかなか前に進みません。
少しでも雨が降って、
暑さのピークが過ぎることを願っています。
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幸せとは

不足が満たされる時
夫が、「どういうときに幸せや喜びを感じる?」と聞きました。
私が、「満たされている時」
と答えると、
「そうじゃないよ、むしろ不足があるときにだよ。
その不足が補われたときに感じるものだよ」と言いました。
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例えば、喉がカラカラに渇いていて、
飲み物を手に入れるのが大変なときなら、
ただのコップ一杯の水だけで
「なんて有り難いんだ、よかった!」って
心から思えるでしょ。
逆に満腹なのに、ご馳走を食べても
「幸せだ!」とは感じられないでしょ。
だから、不足や困難は喜びを感じるためには必要なことで、
何もかも満たされている人の方が、
幸せを感じるのは難しいと思う。」
と言いました。

確かに、最近私が心から『よかった!』と感謝したことは、
夫の顎のしこりがひいたことや、
小屋や風呂釜やバイクが壊れて、
本当に困ったことが起きたときに、
もとの状態にもどすことができたときです。


精神的豊かさは?
それから、
「空気や水は、意識しないでいられる状態が豊か。
お金や土地も、意識しないでいられる状態が豊か。

でも、結婚相手や子どもなど身近な関係は、
意識し、相手の気持ちを感じることで、
何てことのない関係が成立する。
それが豊かさで、
身近な関係は、意識しなくなった時点で不毛におちいり、
単なる重荷になってしまう。

意識しない方が豊かなものと、
意識していないと貧しくなってしまうものがある。」
と言いました。
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