影コンプレックス
ユングの光と闇 |
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光と闇の統合という本質的テーマにひとつの道筋をみいだしたいと思い、ウィリアム・ブレークやキャンベル、『ゲド戦記』のル・グインなどをあたり、今は分析心理学の創始者ユングに閃きを感じている。 |
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まず、「光と闇(影)の統合」が、なぜ重要なのか。
ユングによると、
「誰もがみな影を担い,個人の意識的な生活の中で影を実体化する度合いが低くなればなるほど,影はより暗く濃密になる。もし劣等な部分が意識されれば,人はそれを修正する機会をつねにもつ。さらに,その場合,劣等な部分が他のさまざまな関心といつも触れあい,ずっと変化しつづける。しかし,もし劣等な部分が抑圧され,意識から離れて孤立するなら,けっして修正されることなく,気づかぬうちに表に突然現れやすい。あらゆる点で,それは無意識の思わぬ障害となり,われわれのもっとも善意に満ちたもくろみを邪魔する。」
また『ユング』の著者スティーヴンスによると、
「なぜなら〈自己〉の潜在能力や本能的エネルギーの多くは影のなかに取り込まれ、そのために全体的人格には到達できないからである。……。
自分自身の影を所有するということは、影にたいして責任をもつということであり、そうなればその人の道徳性は盲目的・義務的でなくなり、倫理的選択が可能になる。」
そもそも、なぜ光と闇(影)に分裂してしまうのだろうか、
「その文化の価値観を習得・維持しなければならないという元型の至上命令の上に、道徳コンプレックスが形成される。……。
しかしながら、道徳コンプレックスが形成されると、〈自己〉は厳しい束縛を課せられる。その束縛の多くは必然的に影のなかへと追いやられ、そこでは脅威として経験される。」
いわば「光」が刷り込まれると同時に「影」が形成される。「私に後ろめたいことなどない」と思いたいし、他者にも思わせたいのである。そして無意識に影を他者に投影してしまう。 |
「…… 自分の抱いている憎しみや他人を虐待したいという気持ちを他人に投影し、その結果、自分はその他人に憎まれ、虐待されていると感じるわけである。」
影の投影は大きな脅威となりうるという。
「…… この自我保存行為によって、私たちは自分自身の「悪」を否認し、それを他人に転嫁し、その人に責任をなすりつける。古今東西いたるところに見られるスケープゴートづくりはこれによって説明できるし、自分の属している集団とは明らかに違う集団に属している人びとにたいするありとあらゆる偏見の底にあるのも、この防衛メカニズムである。」
影を自覚するとなると、
「…… それが難しいのは当然である。影コンプレックスは、罪悪感とか、自分は恥ずべき人間だという思い込みとか、自分の真の姿が暴露されたら棄てられるという恐怖心によって全体に彩られているからである。この過程がどんなに辛かろうとも、堪えなければならない。」
さまざまな「私でないもの」との直面は困難であると同時に、未知なる自己を体験すること、いいかえれば本来の自己を思い出すことでもあるのだろう。 |
参考文献
『ユング心理学辞典』創元社
『ユング』講談社 |
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* スケープゴート
(聖書に見える「贖罪の山羊」の意) 民衆の不平や憎悪を他にそらすための身代り。社会統合や責任転嫁の政治技術で、多くは社会的弱者や政治的小集団が排除や抑圧の対象に選ばれる。 |
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