イメージズと
ブラック・スワン |
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一見ホラーと思ってしまうほど支離滅裂な出来事が繰り返されていく映画「イメージズ」(脚本・監督
ロバート・アルトマン)。夫だと思って話していると亡き前夫だったり、Aを始末した後に当のAが娘と遊びに来たりで、主人公の女性は混乱していると思いきや、自分自身も含め登場人物全員をコントロールし、もてあそんでいるかのようでもある。はじめて観たときには、理解しがたいけれど真実味のある芸術性を感じる映画だった。また主役を演じたスザンナ自身の詩集「in
Search of Unicorns」の朗読が、この映画に美しい深みを与えている。 |
再び「イメージズ」を観るうちに、単純に主人公の女性が夫との関係において「都合の悪いことは無かったもの」として過ごしていると考えてみたら、この映画の謎が難なく解けた気がした。特に浮気などの性がらみの記憶をエスに放り込み、何事も無かった清純な女性として生きているものの、葬り去ったはずの過去がいたずらをはじめ、彼女を脅かすと考えるとつじつまが合う。
彼女自身の都合から、ある出来事を経験した彼女と、経験しなかった、考えもしなかった彼女へと分裂して、まったく異なったふたつの人格がひとりの中に出来上がってしまい、都合の悪い現実が、あたかも幻覚のように見えてしまう、あるいは補足的に幻想が浮かんでしまうということだと思う。 |
「イメージズ」は過去を乗り越えることの難しさを物語っている。裏返せば、オープンにさらけ出すことができれば「イメージズ」を経験せずにすむかもしれない、ということでもある。 |
映画「ブラック・スワン」も、ホラーかと思ってしまうほどの鬼気迫るシーンが次々と挿入してくる。「イメージズ」は嘘いつわりが生み出す統合失調であったが、「ブラック・スワン」は、バレー団の良き仲間たちを演じる表面的世界と、実は嫉妬と陰謀が渦巻く内面的世界の、職場などで陥りやすいダブルバインドな苦悩だと思う。 |
主人公のバレリーナの課題は、新作のチャイコフスキーの「白鳥の湖」において、清らかな白鳥と官能的な黒鳥を踊れるプリマになれるか、というもの。清純なイメージの強い彼女は、内なるブラック・スワンを開花できるかで悩みつづけている。そこへ新入りのもうひとりのプリマ候補が接近し、誘惑を仕掛けられもてあそばれる。他にも善悪どちらともいえるような関係が翻弄する。あたかも宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」のごとく、一見邪魔するものたちによって、楽団の足手まといだったゴーシュが芸術家として開花するかのように、主人公のプリマも内なるブラック・スワンを発見する。 |
「イメージズ」も「ブラック・スワン」も、「清純であろう」としてしまう苦悩、言いかえれば内なる闇を受け入れられずに錯乱している主人公をえがいている。つまり、光と闇の統合というキーワードが潜んでいるように思う。 |
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